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Ping Pong Pang 〜卓球、もうひとりの自分〜


2018年1月9日


朝起きるのも憚られる冬の寒い時期、年末年始で心が浮つく頃、思い出すことがある。

『1 年を振り返り、文章にまとめ、残すこと。』

私が過ごした大学の卓球部では、毎年“Ping Pong Pang”という部誌が、1 月初旬に発行される。そのための執筆活動を年末年始にかけて行うのが、風物詩となっていた。大学 4 年生、私にとって最後の部誌のタイトルは、“私と物理と卓球と”。

大学生活の全てを、物理と卓球に注ぎ込み集約した結果であり、そこで私は以下の文章を記載している。

私と卓球

みなさんにとって卓球とはどのようなスポーツですか。

卓球を見ていると、その人がどのような人なのか、わかってしまう時はありませんか。

だから、私は、卓球ほどもう1人の自分が表立って現れるスポーツは、ないのではないかと思います。

だから、卓球を磨くことと、自身を磨くことは同義であります。

卓球を改善したければ、私生活を、もう1人の自分を改善すれば良い。

卓球を成長させたければ、もう1人の自分を成長させれば良い。

今回はこの文章と、弊社アスリート アンバサダー卓球日本代表石川佳純選手とのヒッティング パートナー経験を交え、『もうひとりの自分』とは何か、を再び追ってみようと思う。

あの頃、卓球をしている自分、がいるとしたら、もうひとりの自分とは、卓球以外のことをしている自分(物理学に没頭する女子)であった。詳細は割愛するが…物理学で得たことを、卓球に活かし、その高め合いで大学 4 年間を通し文武両道を貫き成長してきた。もうひとりの自分と出会い、両者で高めあったとき、新しい成長のチャンスがあることを経験した。

おそらく石川選手にとって、TOKYO2020で悲願の金メダルを獲得するには、いままでとは異なる新しい成長を望むことになるのではないだろうか。石川選手にとってのもうひとりの自分を探し出し、高めあった先にこの快挙が待っているはず。

では、石川選手にとって、もうひとりの自分とは?

私にとっての『卓球と卓球以外(物理)』、これを僭越ながら石川選手に言い換えると、『意識と無意識』とも呼べるのではないかと考えた。

これまでも、石川選手自身およびコーチや関係者の方々や世界のライバルは、度重なるデータを研究・解析してきているはずだ。しかし、そこには“人の目”が介在してきたのではないだろうか。人の目というのは、案外見たいところを見、見たくないところは見ず、選別されたデータのみを吸い出している可能性も捨てきれない。限られた時間も相まって、無意識に取りこぼしているデータもあるのではないだろうか。あえて、石川選手がこの度のデータ分析に期待を寄せる要素があるとすれば、まさにこの“無意識”に姿を消した自分を発見することではないだろうか。

だから、後々石川選手からコメントを頂けるのであれば、

『このデータ分析の結果は、想像できました。改めて数値化して頂いて、はっきりしました。』

ではなく、(無論、多くがこのデータであることは想像に難くない)

『このデータ自体に気づいたことがなかった。こんな私がいたのか。』

というコメントだ。

全試合・全動作という膨大なデータの中から、たった1つのデータでいい。1 つのデータさえ出れば、石川選手が上手に幾重もの戦術・技術と化してくれるはずである。誰もが気付かなかった、“新しい石川佳純の存在”を見出すことができれば、それが石川選手にとっての新しい武器となるはずである。

膨大なデータの中から、客観的手法により暴き出された、石川選手にとってのもうひとりの自分。石川選手がこの新しい武器を手に中国選手に打ち勝ち、ひいてはTOKYO2020の大舞台で金メダルをとってもらえるのなら、これ以上の喜びはない。

 

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