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ネットワークアーキテクチャ考 (3) 「アーキテクチャの変遷」


2013年5月16日


このブログでは「ネットワークアーキテクチャ」について検討しており、今回は第3回目になります。第1回目の序論であげた、5点のアーキテクチャの特質のうち、今回は「アーキテクチャの変遷」について検討したいと思います。

人々は、アーキテクティングの過程で、システムの要素やその機能のみならず、複数の要素の組み合わせ・つながり方・構造、といったものを規定して行きますが、その論拠というか根底には「理念」のようなものがあります。そして、アーキテクチャやその理念は、かなり普遍的なものですが、絶対的なものではないので、時流や文化によって変遷します。

アーキテクチャ変遷の困難性

基本的には、一度アーキテクチャが決定しそれが軌道に乗ると、通常それを変遷させることは非常に困難です。

理由はいくつかあります。まず、成功しているアーキテクチャには、それをさらに促進する正のフィードバック ループが形成されます。例えば、あるサービスのユーザが増えれば増えるほど、ユーザの利便性は増し、かつコストは下がります。また、あるアーキテクチャが主流になると、業界全体がそれに合わせた製品を開発することにより、エコシステムが形成されていきます。

もう 1 つの観点として、あるパラダイムにいると、そのパラダイムにおける環境や条件が人々にとってあまりにも当たり前になり、暗黙の前提をおくようになります。そして、無意識にその前提に縛られた上での改良や拡張に注力し、新たなアーキテクチャ可能性に気づきにくくなります。

Thomas Kuhn は、「科学革命の構造」[1] の第8章で次のように述べています。

「あるパラダイムから新しいものへ移る移り行きは、(中略)古いパラダイムの整備と拡張で得られる累積的な過程とは、はるかに隔たっている。」

また、有名な Christensen の「イノヴェーターのジレンマ」[2]では、次のように述べられます。

「業界におけるほとんどの技術進歩は持続的である。(-中略-)disruptive な技術は、少なくとも短期的には、一時的に品質や性能を下げることがある。しかしながら、皮肉なことに、現在先導している企業の失敗を促進するのは、disruptive な技術である。」

さらにこのブログでもよく取り上げている「Art of System Architecting」[3]でも、次のように記述しています。

「現在成功している製品をつくったチームは、その製品を進化させるにはベストだが、新たな代替品をつくるためには向いていないことが多い。」

変遷が困難な例は、探そうと思えばいくらでも見つかります。例えば、昔のタイプライターの機構から決まったと言われるキーボードの qwerty 配列。今はタイプライターなんてどこにもありませんし、人間工学的に決して合理的ではない配列だそうですが、未だにそれを変えることができないでいます。IPv6 の普及にも随分時間がかかっています。

しかしそれでも、人々が望む望まないに関わらず、技術的ブレークスルーの出現や時代の要請によって、アーキテクチャは変遷して行きます。ではどのようにその変遷は起こっているのでしょうか。

アーキテクチャ変遷のパターン

これまで情報通信業界に起こったアーキテクチャ変遷を振り返ると、大きく 4 つのパターンに分類することができます。

  1. 対極概念間の揺り戻し
  2. 対立と、共存・淘汰
  3. 進化
  4. 外部コミュニティによる disruption

1. 対極概念間の揺り戻し

前回の「トレードオフ」で、アーキテクチャ検討にあたっての対極的概念(例えば、集中<->分散など)があることを議論しました。これらの対極的概念は、時流やそのときの技術的要請などによって、行ったり来たりの揺り戻しが見られます。例えば、コンピューティング アーキテクチャの歴史を俯瞰すると、メインフレーム時代のホスト集中から、クライアント サーバ(分散)になり、p2p などが出現してさらに分散が進むか、と思われていたところ、一気にクラウド時代となり集中(論理的集中)に揺り戻っている、という流れを捉えることができます。一方、CPU レベルでみると、性能向上のためにこれまでは 1 コアあたりの集積度を集中的に上げて来ましたが、省電要請などもあり最近はマルチコア(分散)が主流になっています。電話網は基本的に集中制御型でしたが、TCP/IP により大きく自律分散の方向に振れました。しかし最近の SDN の文脈では、再度集中制御が見直されている面があります。L2<->L3 なども、その線引きのポイントは時代によって大きく振れています。

2. 対立と、共存・淘汰

ある目的を実現するための技術は一つとは限りません。その場合、それらは一定期間共存したり、あるいはどちらかが淘汰されたりします。WAN のパケット多重技術として、かつて X.25 という規格がありましたが、よりシンプルな Frame Relay により淘汰され、そして Frame Relay は B-ISDN/ATM の出現によって淘汰されました。しかしその ATM も、元々 LAN の技術であった Ethernet が WAN 対応になるに伴い、ほぼ淘汰されました。かつて米国では政府主導で OSI スタックを普及させようとしましたが(GOSIP)、TCP/IP が defacto standard 化の潮流には抗えず、やはり淘汰されました。(IS-ISや、ASN.1 など、OSI スタックのいくつかは残っていますが。)Netware/IPX、Appletalk、DECNet なども今は昔..の感がありますね。最近でも、IPv4/v6 共存・移行のための技術や、データセンター間接続技術などの領域について、様々な提案が相次いでいます。市場が注目する領域ほど多様度が高くなり、しかし行き過ぎるとどこかの時点で収束する、というサイクルがあるように思えます。また、時流に合わないために一度は廃れた技術も、コンセプトは残り、その後復活したりするのも面白いです。例えば、Larry Roberts(当時Caspian社)の Flow-Based Routing や、Scott McNealy(当時Sun MicroSystems)の Thin Client のようなものです。

3. 進化

自らによるアーキテクチャ変遷は困難であるとはいいながら、着実にアーキテクチャ進化を遂げている技術領域はあります。例えば Ethernet。当初は、構内接続のためのバス型の有線メディアに過ぎず、CDMA/CD という技術が使われていましたが、その後様々なトポロジーに対応し、無線や WAN にも領域を広げました。その速度も、当初の 10Mbps から現在は 100Gbps になっており、control plane も STP(Spanning Tree Protocol)から TRILL と、漸次進化を遂げています。また、移動体通信においては、3GPP が中心となり、2G->3G->LTE->LTE advanced と、アーキテクチャを進化させています。これらは、生成されたエコシステムの強大さを物語っているような気がします。

4. 外部コミュニティによる disruption

そして最後に、外部コミュニティによる disruption です。現行アーキテクチャの改良・進化に注力していると、外部コミュニティによる「disruptive」なアーキテクチャに凌駕される、ということが起こります。これが、まさに前述の Christensen が「イノヴェーターのジレンマ」で、かつてイノヴェーションを起こし業界を先導している企業が破綻する理由として、述べていることです。しかしこの偉大な書のおかげで、我々はこのことを織り込み済みとするようになりました。即ち、disruptive なアーキテクチャ提案が出現したら、それを受け入れ、取り込み、さらに発展させることにより、自らの破綻を回避するのです。こういう時は専業企業より多様性のある企業が強い。Cisco Systems も然りであります。

初めて私が、disruptive なアーキテクチャ提案を受け入れ、取り込み、発展させた事例に遭遇したのは、1990 年代後半の MPLS の時です。当時、通信事業者網としても企業網としても IP が主流になりつつありましたが、その高速化が大きな課題になっていました。Cisco も、Fast Switching、CEF(Cisco Express Forwarding)などパケット処理の改良を重ねていましたが、そうこうしている時に、無名のベンチャー企業であった Ipsilon 社が、IP Switching というアーキテクチャ方式を提案し、業界の話題をさらいました。IP Flow をハードウェア(当時は ATM 交換機が使用されました)にプログラミングすることにより、中継のパケット処理をカットスルーし、高速化を実現する、というものです。Cisco はその概念を Tag Switching として再定義し、それが現在の MPLS になっています。(なお、Ipsilon の概念を取り込んだのは、Cisco だけではありません。当時は Cascade 社、IBM 社、3Com 社など複数の企業が、Ipsilon と同じような概念を提唱しました。)皮肉なことに、MPLS は高速化技術として、ではなく、BGP/MPLS VPN などの仮想化技術や、明示的な Traffic Engineering 技術として発展し今に至ります。実際、高速化目的のためだけだったら、別に CEF でよかったのです。しかし、「高速化には CEF がある」と言って、市場の動きに抵抗していたら、どうなっていたでしょうか。

それから約 15年の歳月が経ち、現在市場は SDN(Software Defined Networking)で賑わっています。これも、外部コミュニティによる disruptive なアーキテクチャ提案と捉えられます。データセンター仮想化・自動化が急速に普及・進展したのに対し、ネットワークは、データセンター技術者・ソフトウェア技術者が自由に制御できないという、問題提起でもあります。

Cisco では、ネットワーク専門家の立場から、サーバ仮想化を再定義しつつありました(UCS:Unified Computing System)。そのような中、今度は、ソフトウェア技術者からの問題提起を受け止め、さらに UCS やデータセンター仮想化技術、WAN 技術、コントローラやオーケストレーション技術も含めたアーキテクチャ進展の好機と捉え、真摯に、様々な取り組みを行っています。

という訳で、次回は SDN に関して書こうと思います。

 

[1] 「科学革命の構造」 – 第8章, トーマス・クーン著, 中山茂訳, みすず書房, 1971年1月

[2] “The Innovator’s Dilemma”, — Introduction, Clayton M. Christensen, Harvard Business School Press, June 1996

[3] “The Art of System Architecting”, — Chapter 3, Mark W. Maier, Eberhardt Rechtin, CRC Press, January 2009

 

 

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1 コメント

  1.  初めてお目にかかります。

    藤井と申します。

    ネットワークアーキテクチャ考 ー (3) アーキテクチャの変遷

    興味深く読ませていただきました。
    大変に理解しやすく参考になりました。

    アーキテクチャやその理念は、かなり普遍的だが、絶対的ではないので、時流や文化等で時よって変遷するが、
    いったん軌道に乗ったアーキテクチャを変遷させることが、非常に困難な事。

    あるパラダイムにいると、暗黙の前提を置くようになり、無意識にその前提に縛られて、
    既存の技術に注力が集中してしまうために、新しいアーキテクチャに目が向きにくくなる事。
    格言の様な言葉が幾つか上げられていた。

    例が上げられていた。
    キーボードの qwerty 配列が昔のタイプライターのままである。自分もあまり使いがって良いとは思いません。
    それでも、技術的ブレークスルーの出現により、変遷していく、どの様に。

    1 対極的概念の衝突では無く、揺り戻し。
    メインフレーム~クライアント サーバ p2p~クラウド、時代の流れよって、集中分散論理的集中に、
    揺り戻って来ていると言う事。
    CPUのマルチコア化、電話網の自律分散から、再度集中制御へ、時代よって大きく動いている事。

    2 対立と、共存・淘汰
    共存と淘汰の循環と言うことなのか?
    WANX.25=> Frame Relay=>B-ISDN/ATM=>LAN Ethemet WAN
    Netware/IPX、Appletalk、DECNet懐かしい名前です。
    長年、共存と進化を繰り返して来たのは、、やっぱりIPv4/IPv6移行ですか?
    市場や環境に順応する技術の 対立と、共存 淘汰 復活 の鬩ぎ合いですか?

    3 進化
    生成されたエコシステムの強大さの物語。
    絶えず対立と、共存 淘汰 復活を繰り返すネットワークアーキテクチャの中で、
    堅実に進化を遂げている技術領域が、 Ethernet LAN 移動体通信。

    今や100Gbpsですか、滅多にお目に懸かれないが、(40Gbps のEthernetCard見たことがある。)
    STP~ TRILL
    http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Keyword/20101019/353114/
    3GPP~ 2G->3G->LTE->LTE advanced
    http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Keyword/20130108/448122/

    4 外部コミュニティによる disruption

    Ciscoの様な見事なコミュニティにも絶えず考察を重ね進化し競争力を維持する見事です。

    これからも、時々読ませて頂きます。

    ありがとうございました。