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シスコとともに「インクルーシブな未来」を ーパラスポーツの魅力とアスリートたちの思い

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早いものでパリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会まであと1年となりました。

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、私たちにとってパラリンピックを身近に感じる好機となりました。来年のパリ2024大会を前に、改めて「パラリンピックとは?」「なぜ種目のカテゴリーが細かいの?」などをあらためて整理することで、より競技を楽しんでいただけるのではないでしょうか。

そこで今回は、シスコが2019年からクラブトップパートナーの1社としてサポートしている、岡山市で活動するパラスポーツの実業団「WORLD-AC(ワールドアスリートクラブ)」の松永仁志さん、生馬知季さん、豊田響心さんに、活動内容や陸上競技を中心とするパラスポーツについてお話をうかがいました。

 

世界レベルのアスリートを育成、そしてパラスポーツの素晴らしさを発信

――始めに、WORLD-ACの活動について教えてください。

松永さん:WORLD-ACは「岡山から世界へ!!」を合言葉に、パラスポーツの素晴らしさを発信し普及させること、パラスポーツを通じて地域社会に貢献することなどを目的に活動しています。実業団なので母体となる企業はありますが、社名よりも「世界を目指している」ことを強調するために、このような名前としました。

現在のメンバーは私も含めてここに集まった3人です。パラ陸上競技のなかでも競技用車いす”レーサー”を使ったトラック競技を主体に活動していて、国内外のさまざまな大会に出場しメダル獲得を目指しています。平日の午前中は社業や学業に取り組み、午後や休日をトレーニングなどアスリート活動に充てています。

一方で、WORLD-ACが指導にあたっているセカンドチーム「WORLD-second」もあります。よりスポーツを身近なものにし、自己の成長を促してほしいという想いから発足したチームで、勝利が絶対的な目的ではありません。こちらはブラインドマラソン、マラソン、クロスカントリースキー、ソフトボールなど種目が多彩で、WORLD-ACへのステップアップを目指している選手も所属しています。

パラ陸上競技のトラック種目、「100m T53」って?

――東京2020大会は自国開催ということもあってか、テレビ中継や報道が多く、パラスポーツをたくさん楽しめました。そのなかで気になったのが、細かなクラス分けです。

松永さん:パラ陸上は、義足を使う選手、ブラインドの選手、脳性まひの選手など、さまざまな障がいによってクラス分けされています。同程度の障がいを持つ者同士が競い合うことで公平性を保つだけでなく、競技性を高めています。

とはいえ、すべてのクラスにすべての陸上競技を設けているわけではありません。100mや400mだけのクラスもありますし、1500m以上だけというクラスもあります。また、パラリンピックに合わせて4年ごとに種目数は変動します。競技性を高めるためです。メダルの総獲得数を減らすことによって一部の種目に選手を集中させるのですが、当然、それによって苦労する選手も出てきます。

 

――障がい種別によって種目数が違うこと、変動することを知っているだけでも、見方が変わって面白くなりそうですね。

松永さん:走競技・跳躍競技のうち車いすを使う主なクラスは、T(Track)の50番台と脳性麻痺のT30番台がある。50番台は51、52、53、54で、基本的に番号が小さいほど障がいの程度は重くなります。走競技の種目は結構幅広くて、100mからフルマラソンまで、一般の陸上と変わらない競技を有しています。

私のクラスはT53、生馬と豊田がT54クラスです。

一般社団法人日本パラ陸上競技連盟「分かりやすいクラス分け 2019年度版」

https://para-ath.org/pdf/top/classwake_qa_rr.pdf

 

選手活動から後進の育成へ

――お一人ずつ、種目や活動内容についてうかがっていきます。松永さんはパラリンピックに3大会連続で出場した後、現在はクラブの選手兼監督を務めているそうですね。

松永さん:東京2020大会を目指して競技を続けていましたが出場はかなわず、選手としての第一線を離れることにしました。現在はマラソンのワールドメジャーズ(世界6大大会)をすべて走破することを目標に活動しています。マラソンは私のT53と1つ障がいの軽いT54が束ねられた競技なので大変ですが、世界屈指の強豪ランナーたちの胸を借りて今なお夢を持って挑戦している最中です。

とはいうものの、あまり練習ができていません。選手の育成に力を注いでいて、トレーニング内容の設定、雑務、遠征の準備、スケジュール管理などデスクワークも多いですね。その合間を縫って自分の練習をしています。

 

――世界クラスの選手の育成ですから、片手間でできるものではないですよね。

松永さん:一見すると同じ練習のようですが、表情や動きを読み取ったり、疲れ具合を聞き取ったりしながら、日々、内容を変化させています。また、海外遠征に同行して世界の動向を見ながら、常に新しいプログラムにしようとしているのですが、最近は所属選手たちの成績が上がってきたので方向性に手応えを感じるようになりました。とはいえ、指導者と言いながら、実際には選手に教えられることが多いですね。

――なぜパラ陸上に興味を持ったのですか。

松永さん:はっきりとは覚えていないのですが、交通事故で車いす生活になり、何かできることがないかと模索するなかで、さまざまなパラスポーツを経験してみた結果、最後まで続いたのが車いす陸上でした。もともと陸上競技の経験があったことも影響していると思います。30年以上前の当時、日本にはまだパラスポーツという言葉さえ浸透していなくて、「障がい者スポーツ」という言葉はありましたが、具体的に何なのかを知る人は少なかったですね。

 

“二足の草鞋”から陸上競技の日本記録保持者へ

――続いて生馬さん、どのような動機で競技を始めましたか。

生馬さん:私は生まれつき脚に障がいを抱えていて、中学生ぐらいのころに、周りの人たちからの目線に少しコンプレックスを持つようになってしまいました。自分に自信を持ちたいと思って車いすバスケットボールを始めたのですが、練習のなかで車いす陸上の指導者に紹介されたのが陸上競技を始めたきっかけです。

2つの競技を続けていましたが、陸上競技で国際大会なども経験して世界の舞台の大きさを体感したことや、直感的に自分の体型や気質が向いていると感じたことから、陸上競技に専念するようになりました。

主な成績としては、東京パラリンピック100mへの出場があります。また、T54クラスの200mで日本記録を保持しています。5月にスイスで開催された大会では100mと800mでも日本新記録にあたるタイムを出せたので、公認されれば100、200、800の3種目で日本記録を保持できる予定です。

周囲のサポートで陸上競技を続けられる

――豊田さんは高校生で、勉強と競技を両立しているそうですね。

豊田さん:高校3年生です。平日は授業が終わってからトラックに出たり、ウェイトトレーニングをしたりしていて、休日は朝から河川敷を走っています。

先天性の障がいがあり、生まれたときから車いすに乗って生活していました。幼いころから体を動かすことが好きでしたが、パラ陸上のことはよく知りませんでした。中学1年生のとき、校内の講演会で講師の松永さんから話を聞いて競技を始めました。高校入学と同時にWORLD-secondからトップチームに昇格して、その年に行われたバーレーン2021アジアユースパラ競技大会では、100mと400mで金メダル、800mで銀メダル(U-17)を獲得しています。

――両立は大変ですよね。家に帰ったらクタクタで、机に向かうのがつらくないですか。

豊田さん:学校で出された課題はすぐに終わらせて、家に帰ってからやらずに済むようにしています。

学校も協力的で、大会出場に支障がないよう取り計らっていただいています。学校が終わると近くまで松永さんが車で迎えに来てくれることもありますし、自分で電車やバスを乗り継いで練習拠点へ向かうこともありますね。また、帰りは母が仕事帰りに寄って、連れて帰ってくれます。周りのサポートがあるおかげで、順調に練習できています。

パリでのメダル獲得、その先に見据えるパラスポーツの姿

――さて、来年は2024パリ大会です。今後に向けて抱負をお聞かせください。

生馬さん:まずは7月にパリで世界パラ陸上競技選手権大会が開催されます。日本代表として400mとユニバーサルリレーという団体種目に出場するのですが、ここで4位以内に入るとパリ大会の出場枠が国に与えられるので、直近の一番の目標に掲げています。

そして、来年のパリ2024パラリンピックです。好きな種目である100mでメダルを獲得できるよう、頑張っていきたいと思います。

――豊田さんのチャレンジや目標を教えていただけますか。

豊田さん:勉強のほうは大学への進学を目指して今頑張っているところで、競技に役立てられる分野を学びながら、これからも競技を続けていきたいと考えています。

競技については、大会に出場するたびにパーソナルベストを更新していくのが目標です。ゆくゆくはパラリンピックでメダルを獲得できる選手になれるよう、日々努力していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――最後に松永さん、お願いします。

松永さん:チームとしての大きな目標は、来年のパリ2024大会です。各々の選手が目標を定めて、それを達成できるよう限りなくサポートできる体制を作るのが私の仕事であり、この集団の存在価値でもあります。

なおかつ地域に応援されて、スポーツっていいなと思えるような社会になるよう、微力ながらでも発信し続けていきたいですね。2021年に日本でパラリンピックが開催されて、日本におけるパラスポーツの見方が大きく変わったし、浸透してきていると思います。インクルーシブな社会の実現に、パラスポーツも少なからず寄与しているでしょう。

ただ、この先もう一つステップアップさせたいとも思っています。まだどこか福祉寄りで「障がい者が頑張っている」とか、「小さなコミュニティで戦っている」といったイメージを払拭しきれていないのが現実でしょう。

よりスポーツとして洗練された競技へ、見ている人をもっと魅了して楽しませることができるエンターテインメントへ、ステージを上げていきたい。これはおそらく日本だけではなし得ないことで、古くからパラスポーツが盛んな国々との連携を深めて、海外の文化も取り入れつつ目指していくものだと思います。それにはデジタルやネットワークの技術を駆使して、時間や距離などを飛び越えて交流しなければ、実現は難しいでしょう。

シスコには、これからもテクノロジーの観点からパラスポーツの普及活動に力を貸していただくことを期待しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このインタビューは7月のパリ2023世界パラ陸上競技選手権大会開催前に実施しました。この大会に出場された生馬選手はユニバーサルリレーで見事1位、金メダルを獲得されるという素晴らしい結果を残されました。生馬選手、おめでとうございます!

来年にむけて日々大会やトレーニングに励んでいる選手の皆さんをシスコは引き続き応援していきます!

 

 

Authors

石丸 美里

PR Manager

APJC Communication Team, Japan

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