こんにちは! シスコ ブログへようこそ。2021 年度新入社員がリレー形式で連載する【2021 年入社新卒ブログリレー】、第 21 弾は髙木がお送りします!
今日は「LGBTQ のリアル」をテーマに、私の個人的な体験をお話しします。
性自認と性的指向:髙木美沙の場合
私の現在の性自認はシスジェンダー女性で、性的指向はパンロマンティック(Panromantic)かつアセクシュアル(Asexsual)で、どちらかというとポリアモラスな関係(Polyamory)を否定しない立場を取っています。
これを平たく言い換えると、「私は女性の心身を自認しており、恋愛対象はすべての人間で、他者と性的関係を持たず、同時に複数の人を愛することにやや賛成である」ということです。性自認についてはマジョリティですが、性的指向についてはマイノリティだと思います。
可視化されにくいマイノリティ
社会生活を営むにあたって困りごとが多かったり深刻になったりするのは性自認がマイノリティな人びとです。たとえば、身体の性が男性のトランスジェンダー女性がスーツを着て仕事をすることの葛藤や、職場の男性用トイレを使うことに違和感を覚えるといった問題があります。
マイノリティの中にも可視化されやすい層とそうでない層があり、性自認がマイノリティな人びとは前者で、私の場合は後者にあたるのではないかと感じています。また、「LGBT」という言葉に含まれるように、同性愛者と両性愛者も認知されやすいマイノリティだと思います。
では、可視化されにくいマイノリティは、マジョリティにはどのように認知されるのでしょうか?
カミングアウトを受けて:母の場合
私の母の場合、娘のカミングアウトを受け入れることがとても難しいように見えました。
当事者からのカミングアウトに対する否定的な反応としてよくあるのは「裏切られた」というものですが、母も似たような感情を覚えてショックを受けているようでした。何に対する裏切りなのか――おそらく、「私とあなたは同じ見た目をしているので仲間であり共同体であり、見えている世界をお互いに共有しあっている」という無意識の約束に対する裏切りなのでしょう。
女性限定就活イベントで感じた疎外感
私はこの無意識の約束事にしばしば悩まされました。そのエピソードのひとつに、就活セミナーがあります。
修士 1 年の冬、就活生だった私はシスコの女子学生限定セミナーに参加していました。産休、育休といったキーワードが出る中で、若干の居心地の悪さを感じました。わたしには関係ない話だ、と。
女性でありながら女性のトピックに迎合できない寂しさ。女性限定と銘打つ場所は昔から得意ではありませんでした。なぜなら、その場所ではヘテロセクシュアルのシス女性であることが暗黙の了解となっているからです。私は確かにシス女性ですが、異性愛者ではありません。現行制度上、また個人的な特性上、結婚・出産といったライフイベントを経験する可能性はかなり低いです。
「わたしたちはここにいる」
ダイバーシティは女性だけのものなのだろうか? と考えます。今の日本では女性の貧困など、女性が社会から取り残されている状況があります。それについては疑念の余地がありません。しかし、そこからさらに一歩進んで、セクシュアルマイノリティの課題に取り組むことはできないだろうか……。
マイノリティの Visibility を上げたいなら、マジョリティの集団に飛び込んでいかなければなりません。マジョリティの集団に割り込んで、自分はここにいると叫ばなければ見つけてもらえない。制度や意識を変えるには集団の力が必要です。当事者は時にズルくならなければいけません。孤立して誰もわかってくれないと嘆くだけでは駄目なのです。
カミングアウトの意義
カミングアウトの意義はさまざまですが、私が思うに、その一言は「実は寂しかったんだ」という告白なのだと思います。「あなたたちと悩みを共有できなくて寂しかったんだ」と。集団の中にいて同じ価値観を持ち、悩みを互いに打ち明けることで人は癒やされ、集団としての結びつきが強化されます。人は、見知らぬ相手に対して自分と同質な部分を見出し、仲間であると判断することで信頼する傾向があります。自分との差異を相手に感じてしまったら、どのようにコミュニケーションをとればいいのかわからず、深い信頼を得ることが難しくなるでしょう。
前回の対談を経て、ダイバーシティというものの考え方を男女二元論で話すのではなく、もっと広い枠組みへと軸を移す必要があると感じます。よりインクルーシブな価値判断を導入すると、今まで取りこぼしてきた人たちを「見つける」ことができるかもしれません。
誰かを「裏切る」ことになっても
私がセクシュアルマイノリティ当事者として個人的な体験をシスコ ブログに書くのは今回が最後となります。当事者であることを明かして体験を綴ることで性的少数者の可視化に繋がればいいな、というのがブログを書く一番の動機でした。カミングアウトした上で日系企業のインターンシップに参加したとき、社員から「そういう人って本当にいるんだね」と言われたことがずっと胸に引っかかっています。私が現れるまで、この人にとって LGBTQ はリアルな存在じゃなかったんだ、と。カミングアウトしてこうしてブログを書くことで誰かを「裏切る」ことになるかもしれないこと、自分が傷つくかもしれないことは正直怖いです。
それでも、これは誰かがやらなければならないことで、幸いにして私は日常生活で困り事が少ない方です。カミングアウトしても失うものが少ない方だ、と言い換えればいいでしょうか。だから、これからも社内で、社外で、わたしたちはここにいると声をあげ続けたいです。