前回の投稿から、またずいぶん時間が経ってしまいました。ディジタル革命のまっ最中、通常運転では通用しないため、どたばたと試行錯誤しています。
それでつい放置気味になっているこのブログですが、何と先日 Twitter で、これを読んでアーキテクトを目指している、と仰ってくださる方がいらっしゃいました。涙が出るほど嬉しかったので、遅々とした拙文であっても、書いていきたいと思います。ありがとうございます。
今週、USで Cisco Live が、そして日本では Interop Tokyo が開催されました。この手のイヴェント・カンファレンスもどんどん変遷して行き、常に見直しが求められます。ただ、1 つ確実なのは、外界に曝されるということは、それだけで大きな刺激と学びがあるということです。不特定多数のお客様、(競合も含めて)他社、業界コミュニティと相互作用する機会を、今後も大切にしたいです。
ところで最近、「アーキテクト」という職名を目にすることが増えてきました。アーキテクチャ的視点、アーキテクチャ設計の重要さが広く世間に認識されていることの証左であり、すばらしいことです。しかし、あまりにもアーキテクトが増えすぎると、職名自体がコモディティ化してしまい、本来アーキテクトが目指すものが曖昧化してしまう可能性があります。
そこでここでは、振る舞いや言動から、アーキテクト的でない人をを検出します。このような人はたぶんアーキテクト的ではありません。
- 上意下達しようとする
「偉い人が○○と言ってるからやれ」というのは、アーキテクトの発言ではありません。
アーキテクティングには多視点が必要。勿論偉い人の視点も必要ですが、それ以外の視点も重要です。技術的要素、外部環境など様々な視点から整合性の取れる設計をしなくてはなりません。そうでなければ、条件の見直しも考慮に入れる必要があります。
- 安易に「手段と目的を混同するな」という
確かにアーキテクティングには、真の目的は何かを問う局面があります。そうでないと、何のために何をやっているのかわからなくなることもある。しかし多くの場合、手段と目的は糾える縄のごとく密接に絡み合い、目的は手段となり、手段は目的となる。だから”安易に”は「混同するな」と言わない。勉強するために受験するのか、受験のために勉強するのか。生きるために仕事するのか、仕事するために生きるのか。イノヴェーションのために再設計するのか、再設計するためにイノヴェーションを起こすのか。そんなことは混同したままでよいから、やるべきときにとことんやった方がよい。人間が一生のうちに分かること・できることなんて限定的過ぎるので、アーキテクトは修行僧的であります。また、目的をあまりにも突き詰めると、身も蓋もなくなります。例えば、真に自然環境の悪化を抑止するなら、人類なんて存在しない方がよい訳です。でもそう言ってしまったら身も蓋もないので、アーキテクトは微妙なバランスを目指します。
- 見えないものを見ようとしない
アーキテクチャは、目に見える機能というよりは、それを支えるための構造です。しかも、単に支えるだけでなく、「どう支えるか」が重要です。シンプルに、スケーリングを阻害しないように、障害がなるべく起こらないように、障害が起こっても、外部からの揺藍によっても、システムに大きな影響が出ないように。そのために、アーキテクトは、見えないものを見ようとします。システムの内部構造でどの要素がボトルネックになり得るか。外部環境からシステムに影響を与えうる要因は何か。
「今問題なく動いているなら変更する必要ない」とか「ビジネス的メリットがなければやらない」とか言うのは、アーキテクト的発言ではありません。
- トレードオフを考慮しない
多くのことがトレードオフの関係にあります。Consistency(一貫性), Availability(可用性), Tolerance to Partitions(分断への耐性)は、そのままでは同時に満たすことはできません(CAP定理)。「速い・安い・旨い」も然り。最小限必要な一貫性は何か、手軽に美味しいものを食べるためにはどうしたらよいか、など、深い追求が必要です。
あれこれ機能を詰め込んだり、何でもできます的な発言をする人々は、アーキテクトではありません。
..まだまだあるかもしれないです、非アーキテクト検出キット。集めてみたら面白いかも。緩く募集してみようかな。コメント戴くのでもよいし、Twitter 等で、#非アーキテクト検出キット とタグしてつぶやいて戴いても構いません。集まったら構造化してみたい!!
それから、言うまでもありませんが、ここでの議論は良し悪しではありません。アーキテクトは役割のひとつであり、企業や組織の活動には当然、職人技的エンジニアもセールスもマーケティングも経営者も、その他多様な人材が必要です。アーキテクチャ云々以前に、物事を前に進める必要のある局面は多いのです。ここではあくまでも、「アーキテクト」という職名が大量消費されつつあるため、喜ばしいながらもそれをちょっとだけ憂うものです。誤解を生みませんように!