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ネットワーク アーキテクチャ考 (21) 「HW ベンダーは何故怒られるのか」

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先日の BGP インシデント [*1] は影響の大きいものでした。シスコの比較的旧い L3 スイッチでは、TCAM 容量溢れのため SW フォワードに切り替わり、スイッチをリロードしないと復旧しないという問題が発生し、ご迷惑をおかけしてしまいました。そのため、関連するアカウントチーム はお詫びと事態収拾に努めました。

しかししかし。言ってみればこの動作は仕様どおりの動作であり、以前から何度となく注意喚起が行われています [*2]。しかもインターネット経路数は、 トラフィックを細かく制御するニーズが高まっているためか、IPv4 アドレス枯渇後も増加し続けています(Route-Views データによると IPv4 経路は現在 70万を越えています [*3])。従って、このようなインシデントがなくても、いずれにせよ根本的な対処が必要でした。

でもそうは言っても、突然の 10万経路の誤広報は厳しい訳です。Google 社は誤広報を認め、「でも 8 分で収束したから」という声明を出しました。誤るのは人の常で、これまでのセキュリティインシデントの原因の大半は誤操作です。インターネットコミュニティにも強い互助精神がありますので、このこと自体に何ら問題はありません。一方、仕様どおりの動作に関わらず怒られ何度も客先に足を運んだことと、一言の声明で済んだこととの対比について、考えさせられていました。

そんな中、昨日 SNS のタイムラインに 、「身体の不調は周囲に受け入れられ納得されるのに、脳の不調はどうしてこんなにも受け入れられないんだ – “We are so, so, so accepting of any body part breaking down other than our brains.”」という TED talk の紹介が流れてきました[*4]。その TED talk を視てみると悲痛な内容です。「腰が痛くてベッドから起き上がれない」と言ったら、周囲の人は同情して大切にと言ってくれるでしょう。でも、「うつでベッドから起き上がれない」と言ったら、あいつはだめだという烙印を押されるだけだ。

人間は、何らかのモノを通して「現実」を認識しています。何かあればモノに帰因させたくなる。逆に、モノに帰因できれば理解できる。怒られるのも、同情してもらえるのも、対価を払って戴けるのも、モノを通じてこそ、ということなのか。

今は Software Centric の時代であり、モノ中心の思考から脱却しなくてはなりません。しかしその思考の成り立ちは結構深く、スローガンだけでは立ち往かない、ということを思い知らされます。「現実」を システムとして捉えること、そしてそのシステムを正当に可視化する方法が求められていることを、改めて痛感した次第です。

*1 「米グーグルの設定ミス、なぜ日本の大規模ネット障害を引き起こしたのか?」(ITPro)

25日(金)のネット障害、原因は経路情報の誤り、世界に影響」(Internet Watch)

*2 “The Size of the Internet Global Routing Table and Its Potential Side Effects”(Cisco Support Community)

*3 “BGP Statistics from Route-Views Data”(BGP Reports)

*4 “Kevin Breel – Confession of a depressed comic”(TED)

Authors

Miya Kohno

Distinguished Systems Engineer, CTO for GSP Japan

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3 コメント

  1. 河野さん
    真実と現実のギャップは何によってもたらされるのでしょうか。
    意識の違いによる問題という事なんでしょうか。
    あくまでも個人的な考え方の共有ですが、
    世界で起きる事象とその一部の何かしらを担うプレイヤー
    という前提条件において、我々は何かしらのプレイヤー
    であったとして、世界で起きる事象というのは、特定のプレイヤー
    だけではの知りえない膨大な事象の積み重ねであって、
    特定のプレイヤーからいくら細かい情報を提供しても
    それは、特定の視点におけるものであって特定の視点だけで積み上げても
    真実とはかけ離れたものが増えていく事にになると思います。
    費やす時間は膨大であるにも関わらず、、、
    出来るだけ多くのプレイヤーから直感的なデータを集める方が
    より多面的な真実に近いデータを短時間で集められて、より有効な
    対処を世界中で共有出来るのではないでしょうか。
    何が言いたかったのか自分でも良くわからないんですが、
    河野さんのblogをいつも楽しみにしています。

    • Miya Kohno

      ありがとうございます。私も日々、「現実」の捉え方のギャップに愕然とすることが多いです。「現実をシステムとして捉えるためには多視点(Multi viewpoints)が必要」、というのがシステムアーキテクティングの教えですので、それを実践するしかないかな、と思います。そういう意味では、データは集めやすくなっていますし、客観的に処理もしやすくなってます。一方、どうにでも処理できるので、両刃の剣ですね。。

      • ありがとうございます。内容から察するに我々の業界は「’現実’の捉え方のギャップ」の改善に向けて インフラ、サービス、何かしら新しい提起において貢献出来るのではないかと思いました。
        「どうにでも処理できる」という事においては、情報発信やマスメディアにおいて昔からある事でそれも一種の価値観と理解しています。
        そのため、受け取る側は常にその背景を理解し、結局のところ多視点のデータを収集する事に努め、自律的に、総合的に、効率的に判断するという事になるんだと思いました。